

ご挨拶
我が国際空手道連盟極真会館横浜北支部は、平成8年4月1日に横浜市港北の地で、その産声をあげました。 当時会館内を揺り動かした組織内分裂騒動の大動乱の中、二代目松井章圭館長並びに現関東本部長山田雅稔師範の命が下り、支部開設の事次第へと至りました。
爾来、今日に至る迄、私達横浜北支部では、二代目松井館長の高邁なる志達成の為、創始者、故大山倍達総裁の理念、目的を終始一貫、貫く決心、覚悟で参りました。
空手の理想は一撃必殺
先代は常にこの事を仰っておられました。理想と現実は縦割けられた二つの世界ではありません。先代が青年期に学ばれ、清澄山や身廷山に篭られた時にも最も大切にされていたと言われる石原莞爾の教学は、絶対相容れない二つの対立する概念を一つに統合する思想でした。それは例えるならば「真」と「偽」、「善」と「悪」、「美」と「醜」と言う二つの極まった対極に位置する価値基準を1つの世界として捉えるのものの見方であり、対立する二つの概念を分離させる「二項対立」の思考を分離思考と称し、二つの相容れない矛盾するコンテンツを統合させる「二項共存」の思考を統合の思考として大系つけて考えます(妙見閣寺代表役員 竹内日祥上人)。古く鎌倉時代から始めて政権を獲得した武士たちが、その荒ぶる魂に神道と仏教の枠を課した御成敗式目(山川健一)から始まって、江戸時代の文化の発達に伴い「武芸」から「武道」へと昇華される中で、当時の幕藩体制化で剣術指南役にあった柳生新陰流、柳生但馬守宗矩は曹洞宗、道元禅師の教えの影響を強く受け、一休禅師や特に沢庵禅師の流れを強く反映し「剣禅一如」を説く事となります。又、「空手道」の出発点とされる大正十一年五月十七日の下富坂講道館の公開演武会で、沖縄県首里尋常小学校準教員であった富名腰(船越)義珍から紹介された「琉球拳法唐手」が「空手」と進歩発展するに至るも、鎌倉円覚寺 古川菅長の禅の教えを汲み、仏教の「空」の思想を受け入れる事となったのです。
「善」から生まれる「善」は「偽」せものの「善」であって、「真」の「善」、本当の善ではない。自己世界に内在する悪を受け容れる事によって、その存在を認め、偉大なる善エネルギーへの転換を果たすその契機とする触媒となる価値観が統合の思想です。「美」しいものから生まれる「美」しさは造られた美しさであって、本当の美しさは「醜」いものから生まれる美しさ程、その価値を絶対化するものは無く、理想の無い現実はニヒリズムを生むこととなります。理想や目的が有るからこそ、実際の現実と向き合って、自分の一体何処に問題が有るのかとの真剣勝負が始まるのです。目的の無い人生が如何に空虚で、根無し草の如き儚い生き方であるか、理想と現実を一つのものと捉えることがリアリティを生むのです。一撃で瞬時にして、相手と触れ合うか否かの一瞬で相手を制し、我を制し、師の正しき道に則る。一瞬一瞬、その刹那刹那に自らの全てを注ぎ込む、一撃必殺を目的とする理想の価値は其処に宿るのです。
地上最強の格闘技があるとするならば、それは空手であり、空手の中でも取り分けて最強であるのは極真空手に他ならない
故 大山総裁のこの言葉こそ、我が門下一同大義を以って肝に銘ずるべきであります。極真空手はその理想たる一撃必殺≠フ目的性の価値に於いて最強であるに他ならず、その目的の高さが文字通り空の手による直接打撃制を生んだのです。人間は何が出来得たのか、何を現在為し得ているのかで評価されるものではありません。人間の価値は、何に向かっているのか、何を信じ、何をしようとしているのかによって人間の尊厳価値が約束されます。立派な人間が、自分を立派だと思っていて立派であろう筈もなく、立派でない人間我々全てが、立派でないからこそ立派であろうと決心、覚悟して其処に挑み続けるからこそ立派なのです。立派と立派でないは統合された一つの世界であり分離された、立派でない事に価値が無い世界ではないのです。ともすれば研鑽を怠りがちな自己にとって、触れれば切れる、一撃必殺、必ず一瞬で敵を倒すその目的に反する事があってはならず、それが大山増達の弟子である私達の使命と心得るべきでしょう。
頭は低く目が高く、口謹んで心広く、孝を原点として他を益する
私達がこの世の中に存在する原因に、四つのそれが有るのだと、先代が修められた教義の中で語られています。それは「父母の恩」より始まり「国主の恩」に連なって、「一切衆生の恩」へと広がり、「三宝の恩」へと高まる四恩報謝の思索の追及が極真精神の歓心であります。私達全てに例外なく、家庭での恩恵を受け、両親より肉体を授かります。そして、それは組織、国家、世界、環境、宇宙へと連なる巨大な有機的ネットワークの中で自己の存在が保証され、それら全ての機能的恩恵は一人一人の人間、万物に等しくその全てが注がれる事となります。その恩に気づいた人間は、必ずその恩に報いる事となると言われます。古来より武士は、「道」を学び、自らの命を賭して天下を平らかにする、自らが属する家、組織、地域に秩序と安定を齎す為に死をも厭わなかったと言われています。我が師も己を滅し己を活かす≠ニ語られていました。
“極真空手は、人種、民族、国家、宗教、性別、年齢の偏見差別なくその枠を超え世界平和を目指すものである”
二一世紀を迎えた今日、いよいよ本格的なグローバリゼーションの波が、正に燎原の火の如く北半球に、特に特徴的に顕現して来ています。これ迄、地球上の地域地域毎の文明か文化の形成を形造っていたものが、二〇世紀後半に擡頭してきた情報化社会IT化の勢いに一気に加速され、今、目まぐるしく異なる文明や文化が衝突を繰り返して地球全体に巨大なゆらぎが発生しています。地域の内乱、紛争は激化の一途を辿り、地球上の各地域で凄惨極まりない殺戮が繰り広げられる中、為替や株、金融問題等々で正に実態のつかみ難い蜉蝣のような社会基盤の中で、誰もが一人としての例外なく、その現実の問題と直面させられます。変化のスピードは、これまでの人類の歴史始まって以来、空前にして絶後の速さを、しかも加速度的にその度合いを強める様相を呈しています。昨日迄の常識が非常識に、非常識が常識に、正に問答無用のルール無き戦いを強いられます。これは、茶の間のブラウン管の向こう側の話ではなく、今、私達一人一人がそれぞれにその変化が大動乱の中心にいるのです。この乱世を生き抜く為には、その変化を支える、背景でそれを支配する、不偏、不変の原理を見出す価値観を手に入れる以外に無いと、有史以来、偉大な聖人、哲人と呼ばれた先達は有無を言わせぬ迫力で、今日の人類に、知的伝統遺産として残され、多くの知的見識者達によって、その検証が策定されています。それが思想的、哲学的に深められた、高い思想、価値観によって創造された理念、目的こそが必要であると言われます。極真空手にはそれが有るのです。その思考のモデルが背景に隠されているのです。以って、この全世界を巻き込む大動乱に如何に立ち向かい、如何に価値のある秩序創りに我が身を捧げられるか、我々が師 大山倍達総裁は生前こう仰られていたそうです。「極真空手にはひとつの哲学、理念があります。こうした独自の哲学、理念が今後も脈々と受け継がれていく限り、極真空手の土台は安泰だと、ひそかに自負している。」と。総裁はそれを石原莞爾主宰の東亜連盟で、田中智学翁の教学として信念化していったと生前の総裁を知る人は語ります。